第64回 正倉院展

奈良国立博物館の正倉院展に行ってきた。

到着したのは火曜日の12時頃、すでに長い列ができていた。

並んでいる顔ぶれをみると、どこもかしこも(なにより自分も)中高年者、所謂おじさん、おばさんばかりだ。 たまに20代らしきの娘さんを見るが、決まって母親か母親と同年代の女性と一緒だ。

そして若い男性にいたっては皆無だ。

実際には、いくばくかの日本歴史に対すろ知識欲にあふれたナイスガイもいるのだろうが、私は見つけられなかった。

考えてみれば若い男性が(娘さんのように)同性の親と一緒に出かけるようなことは、たぶん希有なことだろうし、若い男性の友達同士で正倉院展へ行こうという選択肢も(そもそも選択肢に上がらない)選ばれることはないのだろう。

等々・・若い人が少ない理由をあれこれ妄想しながら並んでいるとじきに列の中間ぐらいまできていた。

では中高年者が多い理由は何故なんだろう。

若者との大きな違いは、圧倒的に未来の量が少ないこと、圧倒的に過去の量が多いこと。

若い時はこれから眩しく輝くであろう(根拠のない楽観的な)未来にばかりに目が向くけど、齢半ばを過ぎ折り返し地点を過ぎると「自分はどこから来たのか」とか「自分の歩んできた過去の是非」が気になってくる。

そうか!それらを肯定したいがためにここに来ているのだ。

昔の価値ある宝物が展示されている正倉院展に来るという行為は、自分の「起源」あるいは「過去」を肯定したいがためのメタファなんだ!・・と気づいたときにはもう入り口が目の前にきていた。 y.ishii

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