記念碑に刻まれた名

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きれいに整備されたダムの湖畔にすごく立派な記念碑が建っています。
そこには「青野ダム」の文字に続き「○○県知事 ○○○○ 書」と刻まれています。

勿論この碑に限らず、私たちは公共事業を記念する石碑をいたるところで目にすることができます。
そこで見るのもこのパターンです。

公共物(税金で作られた物)の名前(この場合は青野ダム)を知らしめるのが目的であるなら、後半の「○○○○ 書」の部分って必要でしょうか?

またたしかに「青野ダム」の字はクセの無い読みやすい書体ですが、逆に言えば特徴が無く、パソコンに標準搭載されているフォント文字のようです。
いささか失礼ではありますが、この文字を誰が書いたか知らしめる必要性があるのでしょうか。

そこで少し意地悪く推察してみると・・・

どうしても自分(首長)の名前を入れたい。

そのための工夫として「○○○○ 書」とする。

この工夫により、最後の「書」一文字を読み落としてくれれば、いや読み落とさなくても、なんとなくこのダムを自分がつくった(税金でだけど)ような印象を与えるけどかまわない。
だって「書」とちゃんと書いているし、そう思うのは見る人の勝手だから・・・

・・・的なストーリーを下から上まで、つまり請け負い業者から担当のお役所職員、管理職までそんなトップの心情を慮って阿吽の呼吸で共有し、最後は最終責任者であり名前を刻まれる人が「よきにはからえ」で決定する。
こんな構造が役所の中にあったのではないでしょうか。

真実はわかりません。

しかし、そもそもみんなの税金でつくった公共物の記念碑に自分の名前を刻むことに対する抵抗感はなかったのでしょうか?
また刻まれた名前を見て尊敬とは真逆の、感情を抱かれるであろうとの想像力はなかったんでしょうか?

このパラドックスは、この記念碑を後に恥ずかしく思いそれを取り除こうとしても、税金でつくった公共物であるが故に自分の意思では壊せず、また石で造ったが故に永遠に残り、さらし続けねばならないということでしょう。

ishii