総理

少々乱暴で極端で多分に恣意的な表現だと思いますが「史上最低の」総理が、ついに権力の座から去られました。
どうしてこのような形容詞がつくことになったのでしょうか。

最大の過ちは、やめると言ってから権力の座に居座り続けたことだと思います。

やめないことを国会で追及された彼は「いいですか『一定のめどがついたら若い世代にその責任を譲りたい。』とは言ったが、やめるとは言っていない」と答えました。(詳細はネット等で確認してください。大筋はこんな感じだったと思います)

確かにあの日(つまりまさしく内閣不信任案が衆議院で可決されそうになった日)、その直前の議員総会の発言で彼は「やめる」の言葉は使いませんでした。
ただ誰もがそう思うように、そう思うような状況と雰囲気をつくり出し、そう思うような言葉選んで使ったのです。
だからこそマスコミは総理退陣だと思い速報を打ち、テレビを見ていた国民もそう思い、何よりその現場にいた民主党国会議員はそう思って不信任案の否決にまわったのです。

私たちは言葉は使う時、場所、状況によって意味が成されることを知っていますし、さらに話者の表情や身体から出る雰囲気で伝わるものがあることも知っています。
それを利用して「やめる」という言葉を使わずに、その意思を伝え、後に使わなかったことによりその意思が無かったことにしようとしたのです。
なんか悪質な電話勧誘販売で「けっこうです!」と断ったつもりが、「結構なんだろ」と商品が送られてくるという古典的な詐欺話と同じ構造だと思いませんか?

このことから私たちはは何を学ぶのでしょう。
「苦しい時ははっきりと言明しない方がいいんだ。後からどうとでも言い逃れるから。だって総理大臣がそうしていたもの!」

もちろん良識ある大人はこんな風には学びません。
そんなことをすると総理と同じように見られるからです。

ishii